※あくまで自分用の考えメモです。思いつきで15分ほどで書き綴ってますので細かいところの整合性や破綻はご容赦を。
自分や自分が所属する集団(家族、会社など)が何かしらの方向や指示を決める際に、ネガティブな理由や動機で方向性を決める、これって即効性はあるのですが、結構長期的に見ると良くない方向や、思惑と違う方向にずれていくことが多いように思います。
twitterで見かけた発言
今朝、twitterで見かけたこのツイートで改めて思いました。
社員にとっていつでも転職できる能力を持つことは大事だけど、それは経営者にとっては転職される可能性が高まるからリスクにもなるという意見をちらほら見ます。でもこれ完全に逆ですよ。経営者にとってどこにも転職できない社員を抱えることはリスクでしかないです。能力がないと戦力にならないです。
— 米村歩@日本一残業の少ないIT企業社長 (@yonemura2006) 2019年1月9日
株式会社アクシア、たしか昨年秋か年末くらいに残業を大幅になくすための経緯を紹介されていたと思います。一筋縄ではいかなかったというところ、経営者側も社員側もそれなりの覚悟がないと実現しないけれど、長期的にはメリットがあるという話だったかと思いますが……。
高能力者を抱えるメリット
高能力者というと語弊があるかもしれませんが、面倒なのでこれでいきますね……。
この「転職すらできないような社員を抱えることが果たして幸せなのか?」について少し考えてみます。社員を、転職できないようにして踏みとどまらせるのと、転職できるほどのポテンシャルはあるけれど、敢えてココを選ぶ、ということで踏みとどまってもらうのと、どちらがプラスな成果を出し続けられるかと言えば当然後者です。
低能力者の集団が、その他の高い能力者の集団に打ち勝ったり、他の集団よりも抜きん出た成果を出し続けるには人海戦術や力業での強行突破に賭けるしかありません。結果、何がおきるかというとブラックな労働環境や、環境に打ち負けて疲弊した社員や社員同士の衝突による自壊です。もちろん組織が大きくなる過程ではそういう場面や時期もあるかもしれませんが、その状態を常態化させてしまうかどうか、ですね。組織の外周でボロボロと兵士が斃れて行きながらもズルズル進む、という形でも組織は成り立つかもしれませんが、少なくとも構成要素たる社員は満足しません。これがいわゆるブラック企業です。
一方で高能力者が多ければ、そもそものパフォーマンスが高いので成果が出るのはもちろん、おまけ効果として
- 低かったり中途半端な能力の人を引き上げたり、自分たちもできるかも?という心理状態に持って行ける(これは実際自分が高校や大学で経験しました。優秀な友人は周囲の人間を引き上げたり、引き上げられたかのような錯覚に陥らせて能力を引き出します)。
- 優秀な人の周りには優秀な人が集まってくるので、結果的に高能力者が多い状態をキープできる。
なんてことが起きます。自浄効果というか、自律的な成長や浄化作用が働く可能性が高いと考えます。この状態をキープできれば、高いステージで進み続けられるのではないでしょうか。
いや、もちろん正論でしかありませんし世の中そんな「浄化されたピカピカした組織」ばかりではありませんけどね。でも極論だとはいえ、目指したい理想像としてはそういうのをもっておいても良いと思います。
何が難しいのか
では、なんでみんなそうしないのか。結局「優秀な人を引きとどめておくための策」が無かったり、「そういう策を練ることに力を注がない」「優秀な人をつなぎ止めることの有用性を理解していない」ことが原因かと考えます。給料と働く場さえ与えておけば優秀な人が来る、なんてことは実際のところありません。優秀な人がそうあるべく日々努力するのと同様に、優秀な人を束ねる組織はそれ自体が優秀な人たちを惹きつけられ続けるよう、努力しなければなりません。それは別に経営者個人が技術を磨けとか、有名人になれとか、ただただ高い給料を出し続けろとかそういうことではなく、優秀な人たちが働き続けやすい「場」を用意すること、それにつきると思います。その場は別に「飲み物がいつでも飲める」とか「PCの性能がいい」なんてものだけではなく、いろんな要素が絡み合ってできる複合的なものなので一概に正解があるわけではありません。
何よりまず「優秀な人が何かしら満足する場を用意する」、そこじゃないかと……。
具体的な施策についてはここでは触れませんが、少なくとも、「よそから引き抜かれかねないような社員を抱える、つなぎ止めることのメリット」や「転職すらできない社員だけで回していくデメリット」を経営側が理解するところから始めないと駄目なんじゃないですかね……。
話を戻す:偉い人たちの反論は大抵「ネガティブな理由」
こういう提案や話をすると大抵出てくる反論が「そういう人を優遇すると古参の社員が追い抜かれて拗ねて悪影響が出る」とか「みんながそういう人に成れる訳じゃ無く、不公平」「どうせ出て行く人にコストを払いたくない」とかって話。そこが冒頭に書いた「ネガティブ理由で行動を決めちゃう人の発想」です。「~にならないように、~する」「~になるので、~しない」という発想の人は、ここでネガティブ動機で行動を決めます。そうじゃない。そうじゃなくて「~になるように、~してみる」という発想で次のアクションを決める。そこです。メリットではなくデメリットだけを決定材料にしてません?
ポジティブな動機は自動的な学びを生む
今までやっていなかったことをやろうとすると、どうしても壁にぶつかります。それは純粋にスキルや知識の話だったり、コストだったり、もうすでに年齢が高くてとても時間が無い、だったりいろんな理由があります。ネガティブ動機で動くと、こういう壁に当たった時に同じように「壁にあたらないようにしよう」という決定を下し、壁を乗り越えずに別の道を模索します。
ですが、元々の動機がポジティブなものであれば、壁は乗り越えるべくしてそこにあるわけで、大目標である何かを目指すために「壁をよけて前にすすむ」「壁を乗り越える方策を考える」といった、前に進むための次のアクションが出てきます。これがポジティブな人たちの原動力かと考えます。
こういう「次に採るべきアクションが次々とわいてくる」は、自動的に学びを経験することになります。できる人たちはこうやって、「勉強する」という作業ではなく「~をするために学ぶ、知る、身につける」ということを日常的に自然にやっています。
そして、そういう人を目の前にして見続けると、周囲の人間はどんどん感化されていきます。もちろんついて行けない人も出てくるでしょうし、脱落者や方向性の違いから抜けていく人も出てくるでしょう。ですが、会社って別にすべての人を救済するわけにやっているわけではないですから、そういう人には抜けてもらって、別のコースで道を見いだしてもらえばいいわけです。
ということで、やはりポジティブな理由で行動を決める、全部が全部そうではなくても、なるべくそうしようとしてみる、ってのは結構良い結果を生むのでは無いかと考えます。
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家庭や教育の現場でも一緒です
これは子供に対する指示や指導でも同じです。すでにいろんな教育書などでも言われていることですが、否定で指示するのではなく、どうすれば良かったかを提示する、これだけで大分相手の様子が変わります。まず、相手が言うことを聞いてくれるようになります。
人によっては「安易に答えを提示することは教育にならない」という人もいます。いわゆる自立型の教育が重要という考え方。これはこれで間違いではないのですが、大前提として「相手が一定のレベルに到達している」という条件がつきます。これ無しに自立を押しつけても相手は立てません。まだ歩けない1歳児に「立て!立て!」と怒鳴り続けているようなものです。それは無理です。
仕事にしても子供への教育にしても、まだ相手が未熟であれば「駄目だ!それはするな!」ではなく「こうすれば良かったと思うよ」「次はこうしてみたら?」という提案型の指示を出すだけで、聞き手の表情が変わります。もしそれでも足りなければ、その指示を出した根拠、その先にあるゴールを少し見せます。「こうすれば、こうなるよ。だからこうしてみたらいいと思うよ」。その先の自立フェイズになれば、次は相手の行動を評価して、正解にはきちんと肯定の言葉を掛けてあげれば、自分で「何をやったらうまくいったか」を学ぶようになっていきます。これで相手の理解がぐんと伸びる瞬間を実際に見てみると、教える側としても止められなくなりますよ。
というわけで
人への指示であれ、会社の方針であれ、自分の行動指針であれ何でもいいので、ポジティブ理由による行動を少しずつ織り交ぜていくことで何かが変わるのでは無いでしょうか、という話でした。
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