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日常茶飯事とお仕事と

学校や塾の勉強は役に立つのか?

本日午後は、上の子の塾、夏期講座の仕上げとなる発表会の参観。元素記号60個くらいを覚えての発表。他の子も「50カ国の位置と首都」とか、「英単語」とか、「地図記号」とか暗記系がほとんど。みんながんばって覚えてきたモノを、緊張するなか、父兄と塾のクラス生が見る中で発表しました。

写真は、終わった後のバス待ち時間でのおやつ。ご褒美ではありません。お父さんが食べたかったのです(笑)

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終わった後の父兄向け説明会では、先生がしきりに「無駄とおっしゃる方もいらっしゃいますが」と言われてましたが、私は、この年齢での暗記や反復学習経験は決して無駄では無いと思います。覚える方法を工夫したり、工夫し損ねたりといった経験や、期限付きの学習と人前での発表。これだけでもできない大人は結構居ます。そういう練習の入り口となる場を提供してもらえた、そういう風に考えれば何一つ無駄にはなりません。

暗記したものが「将来使えるのか?」と言う大人は結構いますし、そうした大人の子供さんたちは同じように「勉強したって意味が無い」と言います。なぜって親がそう思っているし、そう言っているのだから。子供にとって親の言葉は(本人は否定するでしょうが)絶対です。しかし、基礎教育で学ぶのはその内容では無く、手法やとっかかりです。私がそういう話になると、決まって言うのはこれ。知識なんてのは加工する材料であり、練習台なんだから。それを元に何かができるようになるための学習が学校や受験に至るまでの学習ですよ、と。

繰り返して身につけるという「学習の一手段」や、いかに効率よく、モチベーションと興味を維持しつつ学ぶかという「手法、工夫」、また、円周率100桁を覚えた子は、たぶん「規則性の無い数字100個を覚えるなんてこともできるんだ」という「自分のキャパシティ」を知ることができます。また、結果、「覚えられなかった」「皆の前で発表に失敗した」という失敗経験も、失敗をどのように乗り越えるか、受け止めるかという練習になりますし、バネとして使うこともできます。

何一つ無駄になるモノが無いのが小学校までの「経験」ですから、「学校の勉強なんて将来使えない」などと抜かす子供には、きちんと大人がその意図を教えるべきですね。

もちろん、丸暗記や反復は「手法の1つ」であり、すべてではありません。最も基礎的だけど、効率の悪いそのやり方を知った上で「いかに効率よく知識を得るのか」ということに知恵を絞り、手段を洗練しつつ新しい知識を吸い続けるのがこの先の人生です。たまに「じゃ丸暗記だけで将来金持ちになれるのか?」とかばかげた極論を投げてくる人が居ます。親の役割として、そういう馬鹿な大人や馬鹿な友人(もどき)から子供をまもることにも気を配りたいところです。

教養としての大学受験国語 (ちくま新書)

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