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日常茶飯事とお仕事と

御用聞きになるなと言うけれど……なんで中間の「対等の立場」がないのか

なんということない愚痴です。オチ無し。

コミュニケーションの在り方についてのやりとり

若手社員との接し方に関して社内で話す機会があり、こんな話を関係者にしてみました。

  • かつての仕事で若手の対応に入り込んだ結果「若い人間に指示を出すべき年齢、立場なのになに一緒になって話しているのか」という指摘で評価を下げられた。
  • 今の仕事でも、若手と楽しく話していると「若手と迎合するのではなく厳しく接するべきだ」と叱られた。

自分としては、若手だ年配だなんてのは経験の違いと、強いて言うなら身体の劣化具合の違いくらいで、その瞬間においては対等の立場で話せるものだというのがもう昔からの持論です。なので、、そのように対応をしてきた結果、40代の後半を迎えた今でも若い人と普通に話せている、という流れのつもりで話していました。すると、一人から意見が。

  • 私も同じようなことを言われたが、それは「御用聞きになるな」という意味でした。叱られたのはそういうことじゃないかと思います。

はぁ……。御用聞き。御用伺い。そりゃ若手相手に御用聞きになるのはおかしいですが、なんで御用聞きになるな、という指示をわざわざするんでしょうか……。厳しく or 御用聞きの2択なんですか……。

なぜ対応方法が2択なのか

そもそもだけれど、なんで

  • 厳しく接する
  • 御用聞きのごとくしたてに出る

の2択なのか。本来その間に「対等の立場、視点で接する」というのがあるのではないかとおもうのですが。対等の視点に、場合によっては経験や知識の違いを埋めるべく相手の方に降りていきながら視点を揃えて、そこで語るというのはコミュニケーションの基本ではないかとおもうのですが、なぜ、上か下かの2択になるのか。だから若い人の本音を引き出せないんじゃないかと思うのですが。

相手と視点を揃えるのは大変です。瞬時に相手の高さを見抜いて、そこに合わせるべく背伸びしたり、降りていったり。また、話題の内容も当然自分が知らない事が出てくる。それを知ったかぶりするのではなく自分が知らない事を認め、相手の話を引き出す。高低は年齢ではなく知識の差なので、年齢や経験が上でも、知らない事を知っている相手は若くてもそのジャンルにおいては自分より上。だったらそこを埋めるべく背伸びしたり差を埋める努力をする。そのやりとりで互いの力や知識を確認するというプロトコルが成り立ち、そこからが本当の会話の始まりです。

そういうことをいろんな人とやるということを「やりもせず」、「高い視点から言い放つだけ」で「相手の知識や観点が違えば否定する」。そんなやりとりをしている人達に指摘される筋合いはないとおもうのですが。また、長い時間をかけてそういう人達のコミュニケーション術をたたき込まれるとどうなるか…….。相手とは上か下かの2択なので、勝てない相手には勝負しない。意見しない。否定意見や反対意見があっても「言わない(=否定の時は黙り込む)」。上の人間はその状態が普通なので、「下の人間は何も言ってこない」「何も言わないお前達が悪い」みたいな状況ができて、組織がじわじわと速度を落として停止します。

この状況を気持ち悪いと思う人達は既に何人か辞めていきました。彼らの最後の意見は非常に参考になります。「トップのひとを信奉する宗教のようだった」とか「誰もが意見を言わない、封殺される雰囲気が気持ち悪い。一見自由を装っているけれど、自由だよという宣言したことで満足して、誰も気を遣って何も言わない」とか。

こんなの、10年かけてそうなったら、同じくらいの時間でじわじわと変えていくか、いっそ一気に潰してリセットするかしかないとおもうのですけど……。そんなことをやるメリットは自分には無いし。彼らがそれでいいというならば、私は世代の壁を気にせずに個人的な知見やネットを増やしていくだけのこと。

「自分達より若い40代」のこういう意見ももっと若い人と同様に吸い上げたり傾聴することなく、自分達と一緒に組織を年老いていかせたいのであれば……もう何もやることありませんよね。

宝くじあてよう。

余談

そもそも、御用聞きになってるのは誰ですか。お客さんの御用をヘコヘコと聞いて、すべての要望を無理矢理仕様にねじ込んでシステムを作る事の方がよほど害悪だと思いますが。プロとしてお客さんに自分達のスキーム、考え、デザインを提案するようなやりかたがきちんと出来ていれば、それこそコミュニケーションに難があったとしても若い人は自然と「あの人達の様な仕事をしたい」と思うようになると思うのですけど。

ね。

プロカウンセラーの聞く技術

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