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日常茶飯事とお仕事と

12年ぶりに読む文章

某所にて、12年前に自分が書いた文章を見つけた。当時まだインターネットは匿名の世界ではなく、接続しているのは企業や大学といったところが多いという状況、そこにポツポツと「ハンドルネーム」で登場してくる人が発生し、中には匿名性の陰に隠れて暴れる人も出始めた、という時期だったと思う。

>  このような事情を考えますと、極楽大使というハンドルを 
>用いて投稿することは、何ら問題ないと思います。 

問題なければ釈明の必要もないのでは? 
誰もやめろと言ってるわけじゃなし。 

こういう場では、やめろと言って止められるものでもなし。 
っていうか、かなりセンスの問題だと思うんですけど。 
いや、これは個人的な意見です。正解じゃないかもしれない。 
おっしゃりたいこと はわかりますし。 

私は、文章とその書き手が結びついていれば、どのような名前の人物でも別に 
かまわないと思います。ただ、書き手の表情とか身なりとか、いろんな視覚的 
な情報が欠落してるわけだから、文章や氏名しか、その人を識別する方法はな 
いわけで(そりゃ、つきつめて調べれば、所属や、いろんな情報もわかるでしょ 
うが、とりあえず、ぱっと見ただけでは...)。その文章、もしくは氏名が、軽 
薄な印象を相手に与えるようなものであれば、やはり、ねぇ。 
という点で、本名を伴わない文章ってのは、ちょいと不利なこともあるかな、 
とは思います。 

#ちょいと酔ってるので、後で読みなおして後悔する文章かも(笑) 

ちなみに、void と呼ばれている人物は、一度も自分のことを ヴォイドと呼ん 
ではいないとおもうのですが。そりゃ、メールアドレスが実際の氏名に近い役 
割を果しているこの世界?では、それ自体がハンドルだって言っても嘘ではな 
いような気もするのですが。 

#結局、あんまり議論する必要のない内容ですよね。 
#匿名にしたい人はすればいいわけで。ただ、信憑性についてはどう思われる 
#かは知ったことじゃないと。 

「後で読みなおして後悔する文章かも」って、まさか12年後に読み直すことになろうとはね。まぁ雑文乱文ですが、ちょっと思ったのが、「今よりも(自分なりに)相手の文章や意見に耳を傾けていたな」という気がします。今はダメだ。