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日常茶飯事とお仕事と

リスクの存在とそれをどう扱うか

このツイートを見て、確かに、なるほど……と思いました。この教育は防災以外にも悪影響を及ぼしてますよ……。

安全神話の有無の違いか?日米の防災教育の違い
https://twitter.com/ryoko174/status/297855702284787713


NHKの番組が話のネタのようですが、危険の存在と禁止事項の教育に加え、それが起きたときの対処まで教える米国に対し、日本は禁止教育までで終わるという。これ、仕事の現場でもそのまま起きています。こういう教育の成果は、きちんと社会に反映されてますよ教育者のみなさん。


新しいプロジェクトを始める時など、リスクを洗い出して対処法を検討する段階で、発生する可能性のある問題に対してたいていの設計レビュアー、または顧客は「それが起きないようにしろ」という指示を出します。もちろん問題やトラブルが起きないに越したことはありません。ですが、それって結構実現が難しかったりします。完全に要求に応えるには、根本原因をつぶす、もしくは「じゃ、もうはじめからやらない」しか選択肢が無くなります。
当然後者はなしです。それをやってお金をもらおうとしているのだから。だとすると、問題が出ないように根本的な対処をうっておくしかありません。ですが、それにはたいてい膨大なコストがかかります。そして、かなり高度な知識と技術が必要です。


コストはお金を出せばいい話ですが、何とかなるときもあるでしょう。ですが、何とも技術、人的リソースです。結局、「なんとかします」と顧客に言った手前、限られたリソースで完全な対処を行ったことにせざるをえず……。ま、その一番過激な例がこの前の原発事故ですよね。


まだ、それでも「残念ながらできていない」ことが関係者に認識されていれば救いようもあります。その場合、悪い言い方をすれば「問題を握りつぶせばバレない」という対処がとれるからです。もちろん最終的にトラブルにならないようにこっそり対処するわけですから、常に緊張を強いられますし、ことが起きたときには迅速かつ確実な問題つぶしが必要ですが…。逆に、一番だめなのが「完全な対処ができていないことに関係者自身が気づいていない」場合。これは非常にみっともないオチが待ってます。で、ま、その一番過激な例がこの前の原発事故ですよね。


というわけで、問題の対処や事前準備は、かけられるコストと、対応できる人的資源とのバランスで、完全回避だけではなく、直撃した場合の手順や対処法を準備するといった方法も織り交ぜながら、バランスよく行うことが大事ですよね……ってことを改めて痛感しました。


リスクに背を向ける日本人 (講談社現代新書)

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