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日常茶飯事とお仕事と

被害者側に回避の道は無かったのか

殺人事件が多い。で、ブログなどでよく見かけるのは「被害者側の落ち度を指摘してはならない」という意見。これ、どうなんだろう?被害者側の落ち度を指摘する人には二通りあって

  • そもそも被害者がそういうことをしなければ事件は起きなかった。加害者は誘発されたのであって仕方ないこと
  • 加害者が悪いのは当然だが、被害者側は自己回避できる余地があったのではないか

のいずれかだと思う。この前者は論外だろう。たとえ犯罪を誘発するようなことをやっていたとしても、それにつられてはいけない。つられた側が最終的には最悪とみなされて当然だ。が、後者の意見を封じ込めるのはどうかと。

人間が増えると、どうやらある程度の割合でおかしな個体もまじるようだ。これはある意味「仕方がない」ことなのだろう。不良品ってやつね*1。それの存在を無視してはいけないと思う。そういう個体が居る、という前提で、いかに自分はそれによっての被害を受けないようにするか、という事に気を回すのは当然なのではないだろうか。

とか。その辺の議論をしているにも関わらず、「被害者を責めるのはどうかと思う」などと論戦を仕掛けてくる人は、悪いけど放置するしかない。そう、あれ、車と人が勝負になったとき「悪いのは車になるからぶつかっても平気」とかいう意見。あれと同じ。その後の裁判で人間側が無罪になったとしても、本人が死んでしまっていては意味がない。どちらが悪い、という意見の前にまずはそうならないような防備を行うことが、一人の個人が生きていく上で必要な事だろうと思う。それを教えるのは親の仕事だろう。

*1:何を持って不良品とするかは時と環境によると思う。自分だって場合によっては不良品と見なされる可能性がある、ということは認識しているつもり。そこは議論の対象外としたい