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日常茶飯事とお仕事と

言葉のやりとり

言葉のやりとりって、どうやって発生するのだろうとふと考えてしまった。自分的解釈は、水や電気と同じ、「高低があって初めて流れる」ものだろうと思う。水の場合は位置の高低、電気の場合は電圧の高低、じゃ、言葉の場合は?と考えると、言葉の場合はそう簡単な原因ではないな、とも思う。
端的に言うなら「ギャップ」「段差」。ただ、段差が生じる原因が多岐にわたるのが言葉のややこしいところ。一番わかりやすいのが、「意外性」だろうなとも思うが、これは自分の周りだけかもしれない。
段差を超えてやってくる言葉は、必要性を伴っているので中身が生きてると思う。でも、そうでない言葉、仕事で仕方なしに(いや、仕事だから、か)交わす言葉は、きっかけが自分には無い場合が多い。段差は別の所にあり、自分はそれを伝えるメッセンジャーでしか無い。そういう言葉にはおもしろみや感情が混じらないことが多く、そこから人間同士のリレーションシップが生まれることは少ない。
最近、人と出会うことが無い、なんて言葉を良く聞くが、そういう人たち、ちょっとこのあたり、言葉がどういうきっかけで生まれるのかというところに着目すれば、事態は好転するのだろうな。とはいえ、それが出来ないからなるべくして今の「コミュニケーション不能」に陥っているのだろうけれど。