数年前から、自社の評価制度が「役員の感覚による」でしかなかったことから、評価基準や等級制度を整備するという話が挙がっていました。で、ようやくそれが出来たとのことで運用が始まったのですが……。
いや、予想をはるかに下回る内容でしたね。
日々の目標達成記録を付けるが評価には関係無い
いやもうびっくりでした。毎期とか毎年、自己目標や組織目標を掲げてその達成度合いを見る、なんてのはまぁよくある評価制度だと思います。個人の育成も兼ね、部門長や上司や個人がそれぞれの「こうあって欲しい」といった期待も含めて目標設定し、それの到達度合いを見て評価をするといった制度。前職でもそれがありました。
新制度も、やることは下記のような内容です。
- 個人の目標は立てる。
- 目標に対して「毎日」記録を付ける。
- 目標達成に対して数週間に1度、上司もしくはそれ相当の面談担当者(実際には上司とは言わず、別のちょっと気持ち悪い名前が付けられていました)と面談し、状況を見たり補正する。
しかし、こうした手間を掛けながらも「それは昇進昇格やボーナスなどの査定、評価には関係ない」というのです。何のためかというと「それぞれが目標をきちんと持って、成長するための会社からの支援」なんだそうで……。
いやね、あのね、成長支援ってのはきちんとした成長の段取りを踏める人が、その知見や自分の経験を元に次の世代に行うものであってね……。まずは、日頃の仕事や管理体制で「この人達のようになりたい」と思われるような人や組織でないと、支援なんて出来ないのよ。いや、被支援者は支援を求めないのよ。ましてや、目標設定とかについても「極力上司や組織は内容に口を出さない」……って、それ、何が支援なの?
日々、余計な記録と余計な面談の時間を割く「仕組み」だけを用意して後は放置に近いじゃないですか。そして、それを頑張ったところで「ご褒美は無し」ということが確約されている。人間の行動を促す「動機」や「理由付け」ということについてもう少し自分達が学習して学ばれた方がよいのではないでしょうかね……。
成長支援の結果には本人以外責任を持たない
支援すると言っておきながら、成長するかしないかは本人の問題であり、面談などで関わる上司や先輩もそこに責任は負わない……そうです。それ、上司や先輩達側のモチベーションや、評価制度に関わったこと自体への評価って無しってことですか?
昇格のための基準も自分で考える
昇格制度についても「何をもって昇格とするかの目標」などは「本人が自分で考えて決める」だそうです。なにそれ?……。組織からの期待度や期待するジャンルといったガイドも無し、となると結局、会社側の「俺たちの思ってる理想像を当ててみろ。当てたら昇格させてやらんこともない」という、超能力バトルみたいなことになっちゃうわけですよ。
ま、実際自分はここ10年やってきたことに一切触れられないまま、初期等級は「今やっている仕事が下から3番目相当だから、下から3番目ね。上に上がりたかったら昇格制度使ってね」と、かなり下位等級を割り当てられてしまいました。幸い、給与はこれまでのものを維持することだけは特例として認められているようなので……。もうこれでいいかな、という感じです。
制度運用に対する予算が決まっていない
人事課長に聞きました。「この制度に個々人が費やしても良い時間はどれぐらいを想定していますか?」。答えは「えっと……(考えて無い)」でした。毎日やらないといけない事が社員の人数分増え、定期的に面談で最低2名が30分~1時間の時間を使い……。そうした運用にはどうしてもコストが掛かります。それについて「具体的には言えない」ではなく「えーと、そういう観点も必要なんですねwww」みたいな返事だったわけで。
これ、何が恐いかというと、こうした人事制度の運用作業を、業務時間内に行うということを会社が想定していない可能性があるんですね。説明の各所に出てくる「個人がそれぞれ自分で考えて……」という言葉からも、会社は枠だけ作った。あとは上手いことやってくれ、という臭いが漂ってきます。そうすると、若い人達を中心に「これ、どの時間でやればいいんだろう……勤務表につけていいんだろうか?」という空気が流れる。そして、そこに対して馬鹿な中堅社員(会社の下僕みたいになってる連中)から「俺は土日でまとめてやってる」みたいなアドバイスが出て……。あとはお察しです。
個人の成長支援なんだから、会社の時間を使うな、ぐらいのことを言いそうな会社なので。このあたりは非常に恐いです。自分自身は明確に時間を割いて、「他の業務を押しのけて」この制度に関わっていこうと思います(笑)。
そもそもやるべきことは……
ま、どんな評価制度であっても運用は難しいです。実際、どこの会社も四苦八苦している部分ではあるとおもいます。しかし、それでも日本の会社が全滅せずになんとか続いているのは、それでもなんとかやっているところがあるからです。
実際、制度を作ることはいいです。しかし、それと並行して、制度を回すための土台、基礎も育てるという意識が無ければ回りません。多分頓挫します。
で、基礎って何か?。それはもう簡単で、組織全体で「自分以外の人間を見るようにする/見られるようにする」ということだけ。見るっても「視線を向けている」だけじゃなく、何をやっているのか、どういう考え方、行動指針の人なのか、といったことまで理解しようとして、そのうえで仕事仲間として付き合って行く。別にプライベートとかそんなのは主題じゃないです。まずは仕事の時間、仕事の中で相手をきちんと観察して、理解する。そこ。個人のプライベートや趣味なんてのはオプション。
要は、カードゲームの手持ちカードの強さや特性をきちんと把握するってのと同じ。それ無しで、目を瞑って組んだデッキで「勝てない!」とか言ってもそりゃそうだ、としかならないわけです。
では、なぜ人を見る、観察することが評価制度に必要か。それは「簡単な目標を立てているかどうか、それとも少し上を見ているか」といった事の判断すら、相手を上司や同僚がきちんと普段から見ていて、把握できていることが必要だからです。でないと「いや、もう少し上を目指そう」といったアドバイスもできません。なので、そうした評価制度ってのは「普段から組織内での交流やお互いの認識がきちんと出来ている」という大前提の上に成り立つんですね。
評価のベースラインというか基準線。それは普段からのその人の「こういう人である」という認識に基づくべきで、自己申告だけじゃ駄目なんですよ。また、上司や会社側が「思ってる理想像」だけじゃだめなんですよ。実際、前職でも「クチが上手い人が評価される」なんてことも多々ありました。なので、いくつかの評価軸に基づいた、第三者からの客観的な評価ってのが必要、そのためには、評価するための材料を周囲は集めないといけない。それをやらずに「評価制度」なんて無理です。
まぁ、自分は今の給料がキープできればそれでいいので、なるべく傍観していこうと思っています(もう口出しはしない)。