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日常茶飯事とお仕事と

「運」はアルかナイか

運ってのはあるんでしょうか?
また、人の特性として何かしらの単位で数量として割り当てられたりしているんでしょうか?


いや、理屈で考えると、そんなものは無い!なのは理性で判ってるんですが、自分の理性的でない部分(運の悪いことにこの部分が自分の中の7割以上を占めているように思えます)が、そういうものが存在すると告げているんです。ええ。お酒が回ってますよ。

小学生の頃の同級生の女の子の母親が、ウチの母親と中が良かったのですが、その同級生の母親が「夢で何かを感知する」とおっしゃっていたようなのです。で、言われたのが「あなたは運がいい」。いや、何でこんな事を言い始めたかと言いますと、1980年代のフィルムをスキャンしていて、小学生時代の写真が出てきたんですよ。懐かしいクラスメートの写真をみていて思い出しました。


そんなのが何かしらの思い込みや、宗教的な何かを広めるための布石や入り口としてよく使われるということくらい判ってますよ。大学の頃なんか、別の学校の女の子に「ウチに来ない?」と呼ばれてホイホイと行った連中が「いやー、なんかビデオ見させられて...」とうなだれて帰ってくるなんてのを目の当たりにしてますし、自分自身、慕っていた女性の先輩についていったら某学会のイベントに「ちょっと寄ってかない?」と連れて行かれたなんて経験もありますので、そういうのがそういう者である可能性が高いということくらいは判っているつもりです。

ですが、それが自分にとって都合のいい考え方で、実際にそれの具現化であるような体験をたくさんしているのであれば、ちょいと信じちゃってもいいかな、なんて思ってしまうじゃないですか。


実際「当たり」系のものだけでも

  • 抽選ものでの当選。
    • iPod nano
    • 日本旅行旅行券5万円
    • 神戸メリケンパークオリエンタルホテルスイート宿泊券
    • 12万円するDBシステムソフト
    • 週刊雑誌の当選数回
    • サンリオピューロランド入場券
    • 雑誌の細かいプレゼント当選多数
    • 数千円の金券系多数
  • マンション駐車場の抽選。それも部屋番号と類似した番号
  • 幼稚園の入園抽選


ぱっと思いつくだけでもこんな感じ。他にも「運がいいよなぁ」と思う事例はたくさん。
もうちょっと大規模系に当たってもいいような気もしますが、細かいモノが盛りだくさんでも「もしかしたら、なんだかんだ行って最後はうまくいくって感じなんじゃない?」とおもっちゃったりするわけですよ。っていうか、そういう風に自分を思い込ませるってことで、少々へこむ事があっても乗り越える下地が出来てます。これは十分「運がいい」と思えるわけで。


なにより、幼稚園〜小学校までの学校の先生や友人。これが非常に恵まれてました。まぁ中学以降はなんていうかアレですが、人間としての基礎が形成される幼少の時期に、すばらしい人たちに囲まれたことは自分にとってなによりの財産になる経験だったと思います。こう言ったことも総合して「自分はラッキーだよね」と思い、さらにへこんだ時は「こんな経験だって何かの基礎になるに違いない。最後に旨い思いをするのは自分なんだろう」と夢想することで乗り切ってきました。


実際、これを真顔で人に語ると「あほじゃね?」と思われるわけですが(実例アリ)、そういう風に思うことで崩壊を回避しながらうまく生き延びられるのなら、それはそれでありじゃないかとおもってます。失敗もふくめて何事も経験。また、その経験は何かしらの形を経て誰かに引き継がれる。これだけでも十分なんじゃないかと。
そんな風に思いながらこの先も乗り切っていくことにしましょう。


え?なんでこんなことを。いやまぁほら、いろいろと辛いんですよ。