http://amanoudume.s41.xrea.com/2006/03/post_181.html
クソゲーという言葉とクリエイターの気持ちについて、いろんな立場から意見が出ていて面白い。最近、アーティストとかクリエイターというカタカナがよく使われるが、結局の所、モノづくりという広義の定義からすると、普通の製造業やソフトウェア、コンピュータシステム業界も農業もそう変わるものではない(クソ歌手をアーティストと呼ぶ風潮は個人的になんとかしてほしい)。
この「クソゲー」=「その人にとって期待はずれ、もしくは大半の人間にとって期待はずれの製品」という評価は、どの業界であってもそれぞれの形で存在し、それを受け止めるときのつらさも、辛いという意味ではどの業界も同じだろうな、と思う。ゲーム業界だけを特化して意見するのはどうかと思ったりもする(特に、感情的に反論している人たち)。
自分の周囲を見渡すと、クソシステム、クソアーキテクチャ、クソアプリ、クソ設計書、クソ仕様、クソDB、クソアルゴリズム、クソ変数宣言、クソ命名規約...。どれもすなおに受け止めて、次回以降でどれか1つでも改善できるようにしたいものだ。