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日常茶飯事とお仕事と

GitLabのMarkdownで文章をコメントアウトする

GitLabにMarkdown形式のファイルを置くと、そのまま綺麗に整形されて表示されるため、作ったもののドキュメントなどを公開するのに便利です。で、一時的に文章の一部をコメントアウトしたりする方法は無いのかとしらべてみたら……

  <!-- コメントアウトしたい文章 -->

というHTMLのコメント書式がそのまま使えるんですね。とりあえずメモ……。軽量文書だとマークダウンは便利でいいです。

下記は参考にしたリンクです。これはGitHubの場合ですが、GitLabでも同様に機能しました。またVIsual Studio Codeでのプレビューでもきちんと非表示になりました。

gist.github.com


リスク管理や組織の指針決めに関するあれこれ

ここ1ヶ月くらい、新型コロナウイルス対策のため、あちこちで在宅勤務、リモートワークといった言葉が飛び交い、急遽そうした形態での業務に切り替えた組織がたくさんあるとおもいます。そんな中で自分がいる組織でも在宅勤務が始まり、打ち合わせなどにZoomなどのビデオチャットツールを利用するという場面が出てきました。しかし、そうしたツールには色々と問題(情報セキュリティ上の脆弱性など)があることも多々あります。にもかかわらず、セキュリティ上の危惧や危険性などをそっちのけで導入だけを最優先で行っている様子をみて、すこし口を挟んだときのやりとりを記録しておきます。

やらない、を選択するやりかた

Zoomを使う上での問題点などを把握しているのか、また、何は出来て、何は出来ていないのかを把握しているのか?という問いを掛けたところ、どうにもよく分からない回答が返ってきたので以下のような話をしました。

問題として例えでZoomを挙げましたが、なんにせよ、急ぎで対応すれば抜け漏れが出るのは当然です。その「抜けたモノ、漏れたモノ」を把握するかどうかで事故が起きたときの被害の程度が変わってきますよ、って話をしています。


それが嫌なら十分な時間をかけて準備する必要がありますが、今は多分それができない。だったら「これは切り捨てる」と、意思をもって決定した、ってことを指示を出す側は把握しておくべきですよ、って話です。


たとえば「準備に手を掛けられないことは承知している。なので、妥協案として細かい手順は使いながら覚えてもらうことにする。運用ルールも同様、運用しながら定めていく」といった方針を明確に定める、ということです。時間がないので結果的に何もしないのではなく、出来ること、出来ないことを把握して、あえて「やらない」を選択する。そうすればいざというときに「なんでルールがないの!?」といった混乱を回避しやすくなります。


これがリスク管理です。別にZoom使うなって言ってるわけじゃないことは理解してください。

リスクは「何かが起きるかもしれないという不確定さ」です。なので、不確定でなく「起きる」と想定したり、「起きたらこうする」という方針が決まっているならば、それは「把握されたリスク」となり一旦は検討のテーブルから下ろしても良くなります。それを繰り返すことで不確定要素を取り除いて、安心して全力で問題や目の前の事象に取り組めるようになる……のですが、どうもこの発想が抜けているっぽい。

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選択肢を減らす

それから、どうも問題や課題に直面したときに、無防備で「総当たり攻撃で正面突破」を仕掛ける人が多いように思います。それに関しても一言口を挟みました。

打ち合わせ冒頭で話た「前提条件を明確にしないと」も同種の考え方です。「これは考えない」「不要」と前提を決めることで選択肢の幅が一気に減るので、物事の決定を行いやすくなります。このように前提条件を決めない状態で議論しても、想定する事態のパターンが増えすぎてまとまりません。


システム開発の打ち合わせでもこの辺りを無しにしたまま、堂々巡りの議論を何時間もやってるのをよく見かけます。私も油断すると脱線して目的を見失いがちなので、このあたりについてはお互い注意し合って、効率良く話をまとめていきたいものです。

いわゆる二分探索と同様に、問題をなるべく大きく分割して片方を切り捨てられないかを考える。切り捨てられるなら、考え事が一気に半減します。これを繰り返して半分、半分にしてけば、検討すべき課題が一気に減り、方針や対策の決定も円滑に進みやすくなるというものです。こんなやり方なんて普通に仕事、いや、生活していれば身についていてほしいものなんですが……。こういう発想が出来ない人は大変苦労されているのではないかとおもいます(多分御本人は苦労されている自覚は無いでしょうけれど……)。しかし、仕事は組織として目的を達成することで成り立つので、個人がこういうやり方を知らないからといって「それでいい」とはなりません。できるだけ無駄を排して、効率よく目的を達成、最終的には金銭的な利益を得るべく活動するのが会社です。

会社ごっこをしているのではないのだから、やはり普段から考え方や行動に一定の基準や理論を伴った「決断」を意識していってもらいたいものです……。普段からできていない人が、仕事の場面だけできるなんて都合の良いことはそうそうありません。

教育、指導は気持ちではなくまずは「理論」と「実践」で

ちょっととある人と研修やら教育について話す場があったのですが……こちらの方針や指針、いろいろと指導側の不備や問題を懸念として伝えたところ……

(指導側の)失敗は仕方ないと思います。
大事なのは教えられる側の活躍を願う気持ちです。

というお返事をもらった……。違うと思う。

気持ちや気合いは必要です。これは必要です。気持ちがこもってない行為は相手に伝わりづらいし、明らかに気持ちや真剣度が足りないと、相手はこちらの意見を「積極的に聞かない(無視する)」ということにもなりかねません。しかし、気持ちや気合いのベースになるものとして、まずは「きちんとした理論」と「理論に基づいた実践」があって、その上に気持ちや気合いといった精神的なレイヤーが乗っかる。これが正しい姿だと思います。

この下地である教育や研修といったものに関する理論。たとえば「こうだから、こうする」という明確な行動や指導の論拠、理由を持つこと。そして、教える側自身がそれを実践しており、また、その結果や経験をもって相手に教える。こうした事がなければ、いくら気持ちを込めても、気合いを入れても正しい選択や指導が出来るとは限りません。もちろん、たまたま気持ちを込めてとった行動が教育的観点から「アタリ」であることもあるでしょう。気合いを入れたら上手くいくことだってあるでしょう。しかしそれは運によるもの。運に従って行動するのは企業などに於ける活動とはほど遠いものです。ギャンブルでしかありません。仕事として行う行為にランダム性は不要です。再現可能で何度やっても同じ品質のアウトプットが出る。これが「品質を伴う仕事の成果物」です。

なので、きちんとした理論についての話をすっ飛ばして「気持ちが第一」と唱える人は、仕事としてやるべきことを放棄し、ギャンブルとしての教育、いわば「教育ガチャ」のようなものを引いているのと同じだと考えます。気持ちを込めてガチャを引こう……いい新人が出た!……コイツは駄目だった!……。そんなことをやられたらたまったものではありません。また、教育者だって自身の教育や経験蓄積というフェイズは必要でしょうけれど、その全てを「新人など若手の犠牲に依存する」のはあまりに酷い仕打ちです。まずは自身の時間とコストを費やして基礎をきちんと学び、計画を立て、実践と振り返りをもってなるべく対象に被害を与えないようにしつつ進む。この慎重さが必要かと……。

とりあえずこの話をした相手を自分が変える必要は無いと思うので、話した相手については放置します。この人の教育を自分が担当するわけじゃ無い。ただ、自分が教えるべくして教える相手には、自分が何故それを伝えるのか、何故そうなのかをきちんと説明できるようにした状態で伝達したいな、と改めて感じました。

ちょっと……相手にあまりにガッカリしたので忘れないように書いておきます。

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